きょうはNさんのお宅で窓口会議をしました。
7月15日に行なわれる協議会総会での報告
また、8月に予定されている社会福祉協議会での事例報告について
話し合いました。
あと、他のNPOなどとの話し合いの場を持つということを考えていきたいと思います。
善意のボランティアであるお助けマンだけでは、残念ながらできることは少しです。
周辺のNPOの活動のチェックや、近隣の助け合いの呼びかけなどを
して小さな力を最大限生かすということを考えたいと思います。
Nさんは山梨出身の方でほうとうをこねるのが昔の子どもの仕事だったとか。
おいしい本場仕込の野菜たっぷりのほうとううどんをいただきました。
日本のあちこちでこうしたちょっとした集まりがあればいいのだと思います。
助け合いの知恵や力が湧いてくる気がします。
お助けマンとほとんど同じような活動をする非営利組織のNPOが
小手指地区にできたようで、そのチラシをまちづくりのお仲間から
みせてもらいました。
利用しやすい低料金で生活支援をするとのことです。
たしかに、こういった支援は多くの団体が参加することが望ましいのかも
しれません。
このなかで、とくに年金・税金、資産運営と管理、相続問題なども相談に乗ると
いうことが気になりました。
民生委員ですら、犯罪に手を染めることもあった大金がからむことの多い
分野です。
全国で考えると、今現在も進行中の詐欺などがあるかもしれません。
良心的活動をされているのかどうかは別として、やはり、私たちの活動も含めて
チェックしてもらう機関なり何かが必要だと思います。
と同時に信頼して相談できる隣人同士のつながりが大事だと思います。
幼児誘拐と同様な厳罰ということも考える必要があるかと思います。
5月3日のお昼ごろ、電話が鳴ってお助けマンは連休でもいいか、
という年配と思われる男の方の声で問い合わせがありました。
受付のことだと思い、どうぞと答えたところ、奥さんが玄関で動けなくなっていて
自分ができないので、動かせる屈強の男の人を2人頼むとのこと。
これは緊急を要することと判断し、ご近所の方に頼んでください、と答えました。
我が家の息子でも家にいればまだしも、すぐ電話で手配できそうもありません。
こういったことは隣近所のかけつけてもらえる人を呼ぶしかないのだと思いました。
たしかに救急車を呼ぶにしても、それまでにだれかに来てほしいということはあります。
まだまだそういった態勢にはなっていないで、いざというときは役に立たない、
と無力感に襲われます。
もっと答え方もあったのではないか、近所に誰もいないのではなかったか、などなど。
アンケートをちらほらみると、買い物支援はまだ必要がない、との回答が多く、
いずれは助けてほしいという方が多いようです。
仕事や趣味で忙しいので、助ける側はできないとのこと。
これでは、助ける側でしかも連休中に緊急に出られるような態勢というのは、
できるものでしょうか。
必要とすること、期待すること と できること のギャップに今更ながら
考え込んでおります。
遠くの親戚より近くの他人、なのですが、他人がみな高齢化していく、
ということもあります。
まず、屈強な人たちがおおぜい登録してくださることを願っております。
人手がなくなっていくのだから、助け合っていく、
まず、少しだけでも自分の時間を提供する、ということを考えてほしいと思いました。
また、救急でも収容先の病院のベッドが確保できない、ということがあります。
高齢者の場合の救急医療について、これから大きな問題が出てくると思います。
どうすることが最も望ましいのか、他人事ではなく考えていくべきだと思います。